日本のごみ問題の歴史

生活する上でごみは切っても切れない縁であり、時代を遡ればごみにまつわる様々な問題や課題がありました。
今でも多くの課題を残しているごみ問題ですが、過去にはどんな問題があったのか歴史を振り返ってみましょう。

江戸時代から明治時代までのごみ問題の歴史

江戸時代はエコの時代とも言われており、色々なものが再利用されたり、壊れても修理して使い続けたりしていたようです。
今では環境意識が高いヨーロッパは当時、街の一部にごみや尿が溜まり悪臭問題がありましたが、日本では都市部で発生した尿を農村部で肥料として使うため、有料で買取られていました。
そのため、家庭からは生ごみや灰程度しか排出されなかったようで、紙類は古紙回収で売買されていたようです。
明治時代に突入すると欧米化が進み、その影響でコレラやペストといった伝染病が持ち込まれるようになりました。
それによって屎尿処理を求められるようになり、1900年に地方自治体でごみ処理を行うように、汚物掃除法が制定されました。
この汚物掃除法が現在のごみ処理のスタイルの元祖とされています。

昭和時代のごみ問題の歴史

第二次世界大戦後の昭和時代は、化学肥料が普及したことで、農村部では屎尿を肥料に使うことがなくなりました。
同時に屎尿はごみと扱われ、「汚物」として自治体で衛生処理を行う掃除法が作られます。
高度経済成長期に突入した頃、産業活動の激化と同時に産業廃棄物が増え、不法投棄が問題となりました。
中でも廃油の不法投棄は水質汚染となり、生活環境に影響をもたらしたこともあります。
問題を解決するために掃除法は廃棄物処理法に改正され、産業廃棄物は事業者の責任で処理を行い、一般廃棄物は市町村の責務で処理すると区分されました。

1990年以降のごみ問題の歴史

1990年代を迎えると資源枯渇の危機感の高まりから、資源有効利用促進法や容器包装リサイクル法、家電リサイクル法などリサイクル関係の法律が色々制定され、リサイクルの意識が高まり始めました。
しかし、それでもごみの排出量は軽減されていないのが現状でしょう。
ちなみに廃棄物の排出量は、2014年の産業廃棄物が約3億9,284万tで、2015年の一般廃棄物は4,398万tとなっています。
最終処理場の数は減少傾向にあり、残量容量は17年間連続で減っていて、確保が難しい状況が続いているのです。
産業廃棄物の場合、大量に排出されるものの、一度に同一種類の廃棄物が排出されやすいので、約50%はリサイクルされ、残りは焼却後に埋め立てられています。
一方、一般廃棄物は産業廃棄物と比べて排出量は少ないものの、再利用されるのはわずか20%となっており、リサイクル率に差がみられました。
何かとリサイクルや新しい技術・法律が重視される時代ですが、まずは一人ひとりがシンプルな生活を心がけ、ごみの排出を抑えることもごみ問題の解決に大切なことと言えるでしょう。